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zoom RSS 言葉は生き物

<<   作成日時 : 2005/10/26 12:43   >>

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またまた朝日新聞ネタでして、書評に
恥ずかしい和製英語 [著]スティーブン・ウォルシュ
なるものが載っていました。

平たく言ってしまえば和製英語は恥ずかしいということのようです。

私の考えでは、言葉は生き物であり日々変化していくものです。
平安時代と同じ言葉はもう誰も日常会話では使いません。
小説などで江戸時代にタイムスリップする話がありますが、
おそらくはまず言葉がまともに通じないと思います。

日本語は大昔に漢字、漢語を大幅に輸入したころから、
外の言葉を自言語に取り込み、これを自分達のものにして変化させてきました。
日本人は言葉の変化を柔軟に受け止め、適応してきたのです。

その後、日本人は元々大陸には無い日本の漢字熟語を沢山作ってきました。
明治維新の頃、西欧の思想が輸入され、その中に書かれている言葉に対応する
日本語が無いことに苦慮した福沢諭吉が沢山の新しい漢字熟語を作った話は有名です。
これらは、私達が日常普通に使っている言葉になっています。

常々、日本語が正しくないなどという表現を耳にしますが、
何が正しいかと言われれば、正しいと思い込んでいる言葉だって
所詮は明治時代にどこかの学者がそう定めたという程度のものなのです。

このように言葉は常に変化するものであり、
正しいの正しくないのという話は馬鹿げたことです。

もちろん、語彙が貧困で表現力が乏しくなってしまうことを容認している訳ではありませんが、
言葉の新しい使い方や、新しい外来語、外来語を組み合わせて作った和製英語など
目くじらを立てるようなことではないと思います。

外来語を受け止めるためのカタカナという文字体系を持つ日本語は素晴らしいと思いますし、
外国語がカタカナになった瞬間にこれはもう日本語になるのだと思います。
ですから、カタカナ語を組み合わせて和製英語を作るのは日本語の自由な変化の一形態に
過ぎず、カタカタ語の元言語の民族がとやかく言うことではないのです。
よその文化に干渉しようなどとおこがましいと考えて欲しいものです。

ものが定められた形どおりになっていないと気がすまないというのは、
英語を使う民族が頭が固い、理屈に支配されすぎているということを意味しているかもしれません。

一方、日本人が勝手な漢字熟語を作っても、中国人はこれを非難もしなければ、
特におかしいとも思っていないようです。
中国人がとやかくいうのは、これを日本人が中国に持ち込もうとしたときだけですね。
この辺は、中国語がそもそも日々新しい熟語を作りながら変化していく言葉であって
言葉の変化に柔軟な対応が出来るからかもしれません。

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